2010年3月6日土曜日

ORIGINALITY


ORIGINALITY。趣味、仕事に限らずモノ創りをしている人にとっては一度は考えた事がある言葉。何が自分自身の底から産まれてくるのか?何がオリジナルなのか?若い頃はよく考えたものだけど『本質は考えても正解は出てこない、だから本質なんだ』という20代のアマチャンな考えで完結した事をきっかけに、それ以来考えるのをやめていた。たいしたボキャブラリーもないので考え過ぎて気持ち悪くなるし。けど最近夢中のMOTOR CYCLE 文化。そこを通して感じる&思う事もこれまでの自分の哲学らしきものとリンクするわけで面白い。次のコメントは『ACE MOTORCYCLE』代表の徳山公俊 氏の共感出来るコメント。『レーサーなりチョッパーなりを参照するにしても大量のアーカイブの中から、私が無意識に取捨選択しているのであり、自分自身の偏りや曲解があり、また工作技術や設備等の諸条件もあってオリジナリティを追求せずともオリジナルなものに成らざるを得ない、という事でしょう』と。俺も昔、何かを始めようと手探りで動いていた時、尊敬する先輩に言われた言葉で『何かモノをデザインしたり創るのであれば、まずは環境からデザインするべきだ』と言われた事がある。その時はなんのこやら解らなかったけど、今は当たり前のように解る。徳山氏のコメントとがそれを物語っていて、共感できる。極端な例えだけど電気が無い、コンピューターが買えない環境の人は当然、グラフィックはPCを使わず手書きになる訳だし、バイクのカスタムも諸条件によって、やれる事が限られる。ガレージという場所が無い環境、溶接が出来なければ、自然とボルトオンのパーツを買い、組上げたものしか出来ない。どちらが良いとか悪いとかではなくて、そういうふうに環境によって創るモノのクオリチィーは変わり、そこがオリジナリティーにも関わってくるって話。だから、逆を言えば『それだけがオリジナリティー』とも言えるわけで、変に『オリジナリティー』を主張する人もいるが、それも変な話なのである。